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『エルサレムの自爆テロ』―現場風情―


9月22日の午後、イスラエルのインターネットニュースをチェックしてみると、ちょうど速報が入ってきた。

「エルサレムのフレンチ・ヒル交差点で自爆テロ。怪我人あり、詳細不明」。

速報で流れたくらいだから、自爆テロは今起きたばかりだ。急いで荷物を引っつかんでタクシー乗り場まで走っていくと、運ちゃんに告げた「自爆テロ現場まで!」。この国ではいちいち自爆テロの発生場所を告げなくても、地元のタクシーの運ちゃんたちはきっちり場所を把握している。アラブ人の運ちゃんも慣れたもので、「50シェケルね」と通常の倍の値段を吹っかけてくる。50シェケルといえば日本円で千円ちょっと。もう交渉する時間もないので「OK!でも急いでくれ」と返事して、先を急がせた。

爆破現場は既に赤いテープで封鎖されていたものの、報道関係者はある程度現場に近づくことが許された。路上に車のガラスのような細かい破片が散乱していたが、辺りにバスや自動車が爆破された形跡はないし、煙も焼け焦げた跡もない。警官や兵士、レスキュー隊員の数から見て間違いなく死者を出す自爆テロが起きたはずだ。警官たちの一部は爆発物の収集作業にあたっているが、それとは別に薄いビニール合羽のような作業着とゴム手袋を着用した、(まるで食品加工工場の工員のような)スタッフが中心となって、路上の散乱物を拾い集めていた。彼らが集めているのは人間の体の一部だ。それもほんの爪の先程度のものや付着物までも丁寧にかき集める。『ザッカ』と呼ばれる彼らはみな宗教派のユダヤ人たちで、ボランティアとしてこの作業に参加している。どうやらユダヤ教の戒律に則った行為らしい。

さて、この事件現場で私が驚いたのはイスラエル警察や救急隊の動きの迅速さである。現場から2分のところに住む日本人学生、佐藤純子さんによると、「部屋で爆発音を聞いて、屋上に上がると煙の臭いがした。それからすぐに現場に向かったが、もう現場は警察に封鎖され、何台もの救急車が到着していた」とのこと。さすが自爆テロ慣れした国である。当然、報道関係者への対応も迅速だった。自爆テロの現場がまだ作業中にもかかわらず、事件説明がその場で何度も行われるのである。警察の報道担当者は要請があれば各テレビ局用に英語とヘブライ語でインタビューに応じてくれる。日本の警察とはかなり対応が違うようだ。

現地の記者たちも警官たちとは顔なじみのようで、立ち入り禁止区域内に知り合いの警官を見つけると大声で呼び止めては細かい情報を集めている。戦闘の取材と違って、ここでは勇気よりも図々しさのほうが必要なようだ。立ち入り禁止区域に平気で立ち入って、つまみ出される記者やカメラマンの多いこと。これもちょっと日本じゃ考えられない。

ところで事件については、周りの記者の話や警官とのやり取りで状況が分かってきた。警備の兵士たちがバス停近くで若いパレスチナ人女性を呼び止め、職務質問を始めたところ、その女性が自爆したとのことだ。兵士2人は死亡、16人の負傷者を出した。自爆したパレスチナ人女性は19歳(18歳との報道もあり)。アル・アクサ殉教者旅団のメンバーと発表されている。バス停では何十人もバスを待っていたというから、死亡した2人の若い兵士は身を挺して市民を守ったことになる。

自爆したパレスチナ人女性はナブルス近郊の難民キャンプ出身らしい。ナブルスはイスラエル軍によって封鎖され、外国人も立ち入れない状態が最近まで続いていた町だ。イスラエル軍の展開するテロリスト掃討作戦によって戦闘が発生し、現地人の犠牲者も多く出している。パレスチナ人としては切羽つまっての自爆作戦であったことは十分理解できる。ただイスラエル人としても、ここ数日封鎖を解いた途端に自爆テロをされたのでは、軍事侵攻も隔離壁建設も支持せざるをえないだろう。

「戦いはまだまだ続く」。多分これが私とここに住む人々の共通の印象だ。キレイ事のように語られる和平よりも封じ込めと報復の方が短期的な効果がある。明日殺されるかもしれない人々は長期的なビジョンなど持てないのだ。ここに滞在するとついつい私までそんな考え方に陥ってしまう。心の閉塞状態とはもしかしたらこういうことをいうのだろうか。


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