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『兵士の死』


メナシェ・コメニ(19)は相棒のマモヤ・タヒオ(20)と共にフレンチ・ヒル交差点周辺の警備にあたっていた。ここは以前パレスチナ人による自爆テロがあり、多くのイスラエル人が命を落とした場所だ。8月に基礎訓練を終えたばかりのメナシェたちに与えられた任務は、バス停でバスを待つ乗客たちの安全確保。ミシュマル・ハグヴィル、通称『マガヴ』と呼ばれる彼の部隊は、軍ではなく警察の管轄下にあり、パレスチナ人の取り締まりが主な任務とされる。英語でボーダー・ポリスと呼ばれる彼らは、エルサレムではお馴染みの存在だ。頭にのせたグリーンベレーは凛々しいが、この『マガヴ』、タフで無骨な連中として名を馳せている。

9月22日、午後3時40分頃、大通り沿いのバス停では何十人もの乗客がバスを待っていた。メナシェとマモヤはバス停に歩み寄ろうとする若いパレスチナ人を発見。スカーフで顔を覆ったその女性を呼び止めた。彼女の名はザイネブ・アブ・サレム、18歳。ナブルス近隣の難民キャンプ出身だ。2人の若い兵士は彼女に身分証明書の提示を求め、バッグの中を確認しようとした。毎日何度も、何度も、繰り返される慣れきった作業。しかしその日のそれはいつもと違っていた。目の前の女性が閃光と轟音と共に爆発したのだ。自爆テロだった。3〜5kgの爆発物には釘などの鋭利な金属が仕込まれており、それが飛び散って周辺の通行人にも負傷者が出た。マモヤは即死、メナシェは運ばれた病院で息を引き取った。

メナシェの葬儀は翌日行われた。埋葬場所はエルサレムのヘルツェルの丘にある軍人墓地。彼の棺には青いダビデの星に二本線が入ったイスラエル国旗が掛けられ、兵士たちによってゆっくりと埋葬場所まで運ばれてきた。むせび泣く母親と姉妹たち。父親のラハミムは怒りと悲しみをかみ殺して耐えているようだ。メナシェが地中に埋められると、その盛り土の上に妹が倒れこんだ。ヘブライ語で「ロ!ロ!(嫌だ!嫌だ!)」と叫んでいる。それを見て、タフで名高い『マガヴ』の兵士たちが声を上げて泣き出した。いつもは図々しくて、意地悪なイスラエルのカメラマンたちも今日は涙を隠さない。メナシェのガールフレンドだろうか。違う部隊の若い女性兵士が盛られた土を掴んで泣き叫んでいる。仲間の兵士がそれを後ろから抱きしめる。ヘルツェルの丘はメナシェの死を悼む人々の悲しみに被い尽くされた。

19歳の死。イスラエルはこのような犠牲の上に成り立っている国家だ。全てのイスラエル人はパレスチナ人のテロに怯えながらも、メナシェのような兵士に守られて暮らしている。兵士が死亡すれば新聞の一面に顔写真と経歴が載り、軍や人々から最大限の敬意が払われて埋葬される。国民皆兵制を布くこの国だが、人々は兵士を消耗品とは考えていない。しかし現実は――若者たちは消耗品のように死んでいく。

メナシェの葬儀が終わり、カメラをしまって帰ろうとする私に、警備兵が作業をしながら言った。「6時に1人、8時にもう1人埋葬されますよ。今日ガザで3人殺されましたから」。もう2人…。私は逃げるようにヘルツェルの丘から離れ、近くのバス停からバスに乗り込んだ。もう十分だ。あの悲しみのエネルギーをもう2人分受け止める気力はない。

この国とその国民は身近に起きるこの怒りと悲しみに日々耐え、戦っている。メナシェ・コメニ一等兵、19歳の死はそのたった一つの例でしかない。


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