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* 以下は学研の『教育ジャーナル』2004年10月号に掲載された作品(加筆、変更あり)です。

ポーランド発: 『戦争の爪痕』 −絶ちきれない故郷への想い−


高校の英語教師であるピオトル・サイダックの自宅に、ある日手紙が届いた。差出人はドイツ人。ポーランド人であるピオトルには覚えのない名前だ。封書を開けてみると内容は英語で書かれていた。

「私はドイツ人のゴットハルド・フォルスターと申します。第二次世界大戦終結まで貴殿がいま住まわれております家屋で少年時代生活を送っておりました…」

サイダックの暮らすポーランドの地方都市ブジェッグ、そこは第二次世界大戦が終結するまでブリッグと呼ばれるドイツの町だったのだ。近隣には大規模な軍事空港があり、あのナチスのアドルフ・ヒットラーもその地に舞い降りたという。

ドイツ人のフォルスターはピオトルの家を取り戻そうとしている訳ではない。戦後、失った家や家財分の補償はドイツ政府から受けいたし、現在はニュールンベルグ近郊の町で弁護士として社会的地位も確立されている。そんな彼にとって現在ポーランド領となっている生家を取り戻すのはあまり現実的ではないだろう。

フォルスターはドイツ軍が敗退し、ソ連軍が進軍してきた1945年のことを鮮明に覚えている。それは同時に当時14歳だった彼がこの家で過ごす最後の一日ともなった。「体の大きなソ連兵が小銃を持って家に入ってくると、『5分で出て行け。嫌なら殺す』と叫んだんだ」。彼と彼の家族は殆ど何も持たずに家から放り出されてしまったという。

高校教師のサイダックが育ったのは、フォルスターが育った母屋ではなく、かつては家政婦たちが暮らしていた別棟だ。フォルスター家がいかに裕福だったかが窺える。母屋はドイツ軍とソ連軍の戦闘で激しく傷み、放置されていたが1968年に修復され、現在はサイダックが妻と暮らす自宅となっている。

かつてのフォルスターの生家(現サイダックの自宅)

戦後20年ほど経った頃、フォルスターはサイダックの家を訪ねたが、その時はサイダックの祖父に玄関先で追い返されてしまった。サイダックの祖父も隣国ソ連(現在のウクライナ)で家を失ったポーランド系難民だったので、ドイツ人が家を奪い返しに来たと勘違いしたのかもしれない。フォルスターがその孫のサイダックに手紙を書いた経緯もそんなところにもあったのだ。

14歳のフォルスター。自宅前にて母親と
「ドイツ人嫌いだった祖父の世代とはもう時代が違うからね」。サイダックはフォルスターを自宅に招く返事を書き、その数ヵ月後、フォルスターは娘と孫を連れ60年ぶりの生家再訪を果たした。戦後60年。ヨーロッパ連合(EU)加盟したポーランドは希望に満ち、ドイツとの関係も良好だ。しかし、戦争の残した傷は60年経っても癒えない。再訪の際、フォルスターはポーランド領になってしまった生家の庭を眺めながらこう洩らしたそうだ。「失った故郷というものは、どんなにお金をもらっても補償されるものではないな…」
娘と共に60年ぶりに生家を訪れるフォルスター
60年前、故郷を失ったフォルスターのこの一言が、いま世界中で故郷を失いつつある人々の気持ちを雄弁に語っているような気がするは私だけだろうか。


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