ポピエロフ村について語るコミュニティ代表の
デュニゼ・ドゥシンスキー氏。
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ポーランドのシンボルである王冠を被った鷹のタペストリーの前で、この地域の代表を務めるデュニゼ・ドゥシンスキー氏は言う。「ここは非常にユニークな村ですよ、多彩な文化が存在する。まあ、そのぶん一つにまとめるのは大変ですけどね」。 |
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ドイツ系住民の戦没者を悼む記念碑
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確かに「ようこそポピエロフ村へ」と記された看板はドイツ語とポーランド語で表記されている。家屋や車は小ぎれいだし、村のいたる所でドイツ語表記を見かける。それに車のナンバープレートはドイツのものがやけに多い。町の中心には第一次世界大戦と第二次世界大戦で命を落としたドイツ系住民の記念碑まである。 |
ソ連兵の記念碑は
寂れて顧みる人もいない
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ポーランド南西部に位置するポピエロフ村は人口2400人。そのうち半分以上がドイツ系住民とされている。それもそのはず、今でこそここはポーランドだが、第二次世界大戦終結まではドイツの一部だったのだ。戦後ポーランドに組み込まれてしまったポピエロフ村の住民は、ポーランド共産党支配の下、民族主義的な主張はご法度とされ、ドイツ語教育、ドイツ語会話は厳しく制限された。前出のドゥシンスキー氏は80年代にポーランド共産党から派遣され、それらを監視する役割を担っていた人物だ。村の近くを流れるオドラ川の河岸にはその共産党によって建てられたソ連兵の記念碑がある。ドイツ軍をこの地から追い出したソ連兵に感謝の意を表するものだ。 |
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「ソ連兵はこの村でも強姦、強奪をしたのよ」。小さな雑貨店の若いドイツ系女性店員がそう語った。祖母から聞いた話だそうだ。ソ連兵がドイツ人女性に行った蛮行は有名で、次世代に脈々と語り継がれている。この地のドイツ系住民は大戦中、ドイツ側で戦ったわけだから、ドイツには今でも親近感を抱いている。ポーランド民主化後、ポピエロフ村のために戦って命を落としたドイツ人のために感謝の記念碑を建てた理由もそんなところにあるのだろう。しかし、ポーランド人にとってみれば、自分たちを侵略したドイツを賛美するなど受け入れられない行為だ。民主化で表現の自由は得たものの、鈎十字やドイツ軍のヘルメットデザインを記念碑に刻むのは違法とされている。戦後60年たった今でも、ポーランドから追いやられたドイツ人の悲史がドイツでクローズアップされると、ポーランド側はドイツ軍によって蹂躙されたポーランドの悲史で応戦する。ヨーロッパの歴史は一筋縄ではない。
ポピエロフ村にはドイツ的な雰囲気が残る。
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「いろいろあるけど大した問題じゃないね」。ポピエロフ村のあるドイツ系住民は言う。実際、ポピエロフではドイツ系住民とポーランド系住民のカップルも珍しくない。町に建てられたドイツの記念碑が汚されるような事件も起きていないようだ。2年前の選挙でコミュニティの代表に選ばれたのは(驚くべきことに!)ドイツ系住民ではなく、ポーランド系で元共産党のデュニゼ・ドゥシンスキー氏。それも18年連続である。123年間、国家が消滅し、その後ドイツ軍侵攻、共産党支配と様々な歴史を経たポーランドだが、民主化後ここポピエロフ村での民族共生は微妙なバランスを保ちながらうまく進んでいるようだ。
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