|
|
|
| 戻る | |
|
以下3件は読者のメールです。ご覧ください。 ************************************************************************************ 「率直に言って、レイチェルさんの行為は死んで当然です。(中略)私事ですが、私がイスラエルにいると言うことには、どんな状況で、いつ死んでもいい覚悟を持って、自分の行動に責任を持っていると言うことです。平和活動家として、もっとも危険な地域に滞在し、パレスチナ人を支援し、イスラエルを非難する、と言う立場であれば、覚悟の上であるべきです。(中略)無差別に自爆テロをするパレスチナ活動家によって、私自身でさえ、いつ巻き込まれてもおかしくないという状況の中で生活をせざるを得ないのです。自爆テロ以後、バスには乗らないと言う人の気持ちをどれだけ無関係の人間が理解できるでしょうか?」 イスラエル在住・日本人・女性 ************************************************************************************* 「彼女(レイチェル・コリー)のことは元メンバーとしてもちろんショックでしたが、私が感じているのは、彼女が殺されたこと自体の怒りだけではありません。それは最初に感じたことですが、そこからはじまって、もちろんイスラエルのしていること、それに対するパレスチナ人の自爆テロ、それだけじゃなくてこれから始まろうとしている戦争・・・ この世の暴力に対しての怒りや悲しみです。」 元ISM活動家・日本人・女性 ************************************************************************************* 「人間の盾という言葉は僕は好きではありません。それは自爆と同様人間を道具に落としこめるものだからです。しかし国連決議も国際法も無視し、占領地にどんどん入植地を作り、その防衛の為にパレスティナ人を追い出すというようなリクード右派のやり方に対して、アメリカを始め国際社会が黙認してしまっている中で、NGOの人々がそこにいることで少しでも食い止められるのは事実でしょう。(中略)(イスラエル人、パレスチナ人、NGOの活動家たちは)それぞれの政策・戦術(入植地拡大や自爆テロなど)を憎みあうべきであり、末端の兵も人間も本来憎み合う相手ではないはずです。」 教師・日本人・男性 ************************************************************************************* --------以下私の返信です。------- 今回の『事件』あるいは『事故』について一言。 『米少女の訴えとコリーさんの虐殺』、『レイチェル・コリー殺害に関する声明』など、ショッキングな題名で多くのレポートが私に送信されてきました。 http://electronicintifada.net/v2/article1248.shtml
しかし、現地で先頃まで取材活動をしていた私にとって、本当に『虐殺』、『殺害』なのかに疑問を感じています。 ある日本の女性がISMの運動から退いた理由の一つに「危険すぎる」からというのがあったことを覚えています。(後に本人発言を否定) 現地で見ていて、ISMの平和活動というのは私の知るどの平和活動よりも危険の伴う、時として「無茶」にすら見える活動です。今回も作業中のブルドーザーの前に立ち塞がるという非常に危険な阻止活動にでました。(写真の中で立ってメガフォンを持っているのは事故の1時間以上前の姿で、事故直前は座り込んで、手を振っていただけだったことを、撮影したISMのメンバー、ジョセフ・スミス氏は自らの公開日記の中で記述している。) イスラエル軍のブルドーザーは、(現地で軍の命令に従うイスラエル兵からすれば)テロを抑止するための作戦行動中です。その作戦活動を阻止しようとすることはイスラエル側にとってはテロ幇(ほう)助に繋がる行為だととられる可能性があります。 それにラッファはガザ地区の中でももっとも戦闘の激しい緊張地帯です。そして、そこで作業しているのは単なる土木作業員ではなく、イスラエルの戦闘員なのです。 戦闘地域で戦闘員の軍事作戦行動を、身体を張って阻止をすれば、そこに何が発生するか想像してみてください。 現場には他にも平和活動家がいたにもかかわらず、写真を見る限りブルドーザーの前に立ちはだかったのはレイチェルさんのみのようです。他の活動家はそれを「危険すぎる」と判断したのではないでしょうか? 戦闘地域というのは当然危険な場所です。ジャーナリストやカメラマンもそのリスクを、そこで戦う兵士やゲリラと同じレベルで背負っています。戦闘地域で戦闘中に報道関係者が負傷したり、死亡したりしても、通常、兵士やゲリラが責められることはありません。全ては個々人の自己責任とされ、『悲しい事故』として処理されます。平和活動家も同じではないでしょうか。 レイチェルさんがお亡くなりになったのも、戦闘地域でのことです。在アメリカや在日本のイスラエル大使館前でシュプレヒコールを上げている時に、撃たれたのではありません。戦闘地域において、軍の作戦行動を阻止しようとして死亡したのです。 イスラエル軍が自分たちの作戦行動を完遂させることに容赦がないということは、周知の事実。当然レイチェルさんも知っていたはずです。 レイチェルさんに「(イスラエルを支援する)アメリカの国籍の活動家には、さすがのイスラエル兵も手は出せない」という事実誤認がなかった言い切れるでしょうか?(私はイスラエル・パレスチナで、何人もの平和活動家からそういった意見を聞きました。) それとも彼女は最初から「イスラエル軍は、私がアメリカ人でも容赦しないだろう。死ぬかもしれない」と死を覚悟していたのでしょうか? あるいは、「私がブルドーザーの前に立ちはだかれば、イスラエル兵は軍の命令を無視して、私のために作戦行動を中止してくれるだろう」などと考えていたのでしょうか? あのブルドーザーは単なるブルドーザーではありません。装甲ブルドーザーです。現場は戦闘地域で、いつ狙撃されても不思議ではないという緊張の中でイスラエル兵は作業をしています。 イスラエル兵が最初から“レイチェルさんを殺す”目的でブルドーザーを動かしたという確証があるのでしょうか。(事故前、イスラエル軍のブルドーザーは、活動家たちに怪我をさせないように何度も停止したと前出のジョセフ・スミス氏は記述している。) ブルドーザーを動かせば、レイチェルさんが恐れをなして、逃げ出すだろうという兵士側の誤算があったと考えられないでしょうか? もし、ISMの活動家側が「あのイスラエル兵は最初からレイチェルさんを殺すつもりだった」というなら、イスラエル軍側が「レイチェルさんは危険を知っていた。あれは最初から彼女は自殺作戦だった」と言われて反論できるでしょか? これは、『パレスチナのための平和活動』側と『イスラエルのための治安維持活動』側双方の誤算から生まれた『悲しい事故』呼ばれておかしくないものだと私は考えますが、いかがなものでしょうか。 「(*1)ハーレーツの記事の中で (*2)“regrettable accident”という表現があります。この言葉をそのまま彼女の家族へも使うのでしょうか・・・」という感想を書いた方がいます。 私は、上記の表現が間違っているとは思えません。 (*1.ハーレーツとは、イスラエルの新聞『ハアレツ』紙のこと)(*2.“regrettable accident”とは「遺憾な事故」の意) 「世界の平和活動家は、パレスチナ人を守るための活動はするが、パレスチナの自爆テロからイスラエル人を守る活動はしない」とイスラエル人は不満を漏らします。 確かに私もイスラエルの一般市民をテロから守る平和活動家は一人も知りません。 私は、ISMの政治的な方向性は別として、彼らの命をかけた活動には敬意を払います。多くの場合、非常に有効だということも認めます。しかし、このところのISMの活動内容が、命令を受けてそれに従っているだけの若い兵士に対する単なる『嫌がらせ』のような行動が眼に付くように思えます。 世界中から若者が集まるのはいいのですが、現地で軍務に服する若いイスラエル兵を集団的に困らせたり、怒らせたりして、事態をより危険にさせているようにも見えます。 「パレスチナの人々にあれだけ非人道的な態度をとっているイスラエル兵に容赦なんかはいらない」と考える気持ちは分からないでもないですが、相手のイスラエル兵は武器を持っているのだし、彼らだって徴兵されてきた若者で、軍や上官の命令には背けないのです。 それと、忘れてはならないのは、『イスラエル人にとって』ガザ地区やヨルダン川西岸地区での軍事活動は人権蹂躙活動ではなく、治安維持活動なのです。彼らには、パレスチナ側ばかりに立つ平和活動はテロ幇助にそのもの見えてしまうのです。 パレスチナ人による自爆テロがあった時、笑いながら「よかったね!」とパレスチナ人と握手している活動家をエルサレムの旧市街とガザ地区で見たことがあります。これは特別な例かもしれませんが、平和活動家側にも「世界の平和活動家はパレスチナ寄りだ」というイスラエル人の認識を改めてもらう努力が必要なのではないでしょうか。
|
||||||||||||||||||||||||||||