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* 以下は学研の『教育ジャーナル』7月号に掲載された作品(加筆、変更あり)です。
『要塞の中の子供たち』
家の前で遊んでいた5歳くらいの子供たちにカメラを向けると、一人の子が近づいて来た。その眼は怒りに満ちている。こちらに向かって何か叫んだと思ったら、その子は私に唾を吐きかけた。
同行の若いイスラエル兵が「悪いね・・・」と申し訳なさそうに言う。「ここの子たちは、外国プレス(報道関係者)はみんな嘘つきで、ユダヤ(イスラエル)人の敵だって教えられてるんだ」。この時私は『ユダヤ人入植地』にいるのだということを改めて実感した。
1967年の第三次中東戦争の際、シリア、ヨルダン、エジプトから奪取した占領地区に『ユダヤ人入植地』は建設された。国際社会からはその存在自体が“国際法違反”だの“中東における諸悪の根源”などと非難されており、一部のイスラエル国民でさえこの入植地政策を疑問視しているのが実情だ。
145箇所ある『ユダヤ人入植地』は、敵民族であるパレスチナ人村に囲まれる形で点在する。当然、民族間の衝突も多く、危険度は極めて高い。だからここのイスラエル人は外部の者に対して猜疑心が強いし、友好的でもない。彼らの多くは日常的に銃武装し、周辺警備のイスラエル兵が住民の数を上回ることすらある。保安のため、周りは頑強なフェンスや有刺鉄線で囲われ、道路には軍の検問、そしてここを走る路線バスは防弾加工が施されている。ここはまさに“パレスチナの海に浮かぶユダヤの要塞”なのだ。 |
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『ユダヤ人入植地』は
兵士なしでは存続できない。
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ユダヤの祭日『プリム』の仮装パーティーを取材するため、ヘブロンのユダヤ人入植地を訪れた時のこと。警備にあたるイスラエル兵の口利きで、子供たちの撮影が許された。仮装をした子供たちに「マーシムハー(名前は何)?」とヘブライ語で話しかけると、無関心を装っていた彼らの好奇心に火が付いたようだ。「ユダヤ人なの!?」、「どこから来たの?」、「日本?うちのテレビは日本製だよ」。パレスチナの子よりも控え目で、探るように聞いてくるが、質問の内容はほとんど同じだ。
兵隊さんの仮装をした子がおもちゃの機関銃を振りかざして言った。「パレスチナ人をやっつけるんだ!」。この近所でパレスチナ人による襲撃があり、ユダヤ人家族が皆殺しにされた事が影響しているのだろう。
『ユダヤ人入植地』は戦争でパレスチナ人から奪ったものだ。領土奪還のため、多くのパレスチナ人が今でも血を流している。その一方でユダヤ人入植者たちも既に3世代目がここで生まれ、育ち、戦って、血を流している。ここは既に双方にとってのホームランド(祖国の地)になりつつある。
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ガザやウェストバンクといった占領地ではパレスチナ人の子供たちがイスラム原理主義武装組織『ハマス』の戦闘員に憧れ、おもちゃのマシンガン、カラシニコフを手にしていた。ここ『ユダヤ人入植地』の子はイスラエル兵に憧れ、おもちゃのM16ライフルを携える。
テロや襲撃を封じ込め、侵入者を防ぐための『要塞』は、イスラエル人自身をもそこに封じ込めているようだ。今、双方の子供たちが持つおもちゃの銃はいずれ“本物”に取って代わるだろう。大人たちは、この子たちに“本物”の銃ではなく、“本物”の平和を授けなければならない。しかしテロや暴力が若年化している今、ここの子たちには後どのくらいの時間が残っているのだろう。いくら中東とはいえ、いつまでも悠長に「インシャアッラー(神のご意志次第)」などとは言っていられないことは確かだ。この状況が本当に神様の意思などとはどうしても考えられない。『ユダヤ人入植地』はノアの箱舟ではないのだから・・・。
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子供たちにとって兵隊さんは
強さと憧れの象徴だ。
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森口康秀(フォト&レポート/TTLプロジェクト)
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