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森口康秀
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* 以下は学研の『教育ジャーナル』8月号に掲載された作品(加筆、変更あり)です。

『Eメール:ニュースのその後』


先日、私のメールボックスに見慣れない名前のメッセージが飛び込んできた。名前は「X」の頭文字から始まっていて、どう発音していいかも分からない。何かの勧誘メールかなと思いつつ、それを開いてみると、意外にもそれは3年前に取材した旧ユーゴスラビアのコソボ自治州からだった。

 そういえば...

内戦で荒れ果てたコソボ自治州でアルバニア系住民の撮影をした際、写真を送ってくれとせがまれた事がある。その時、「こんな状況じゃ、郵送しても写真は届かないでしょう。いつかEメールアドレスを持つことができたら、ここに連絡ください」と名刺を渡したのを思い出した。あれから3年、あの家族がついにコンピューターとメールアドレスを持ったのだ!メールはその家の娘さんからで、家族や町の近況、そして、約束の写真をメールで送って欲しいと書かれていた。

セルビア人に家を焼き払われ、家財道具を奪われた彼らだったが、平和な生活を取り戻しつつあるようで嬉しかった。戦後のコソボは間違いなく復興している。しかし彼女は近況報告の中でこうも言っている。

「私の住む町、ミトロヴィッツァはいまだに二つに分断されています。また元通りの一つの町になることを祈っています」 

町はセルビア系住民とアルバニア系住民の衝突によって二つに裂かれたままなのだ。戦争が終わっても民族問題の根本は解決していないようだ。

北大西洋条約機構(NATO)軍に
空爆されたユーゴ連邦政府の建物

偶然だろうか。今度はセルビア人女性、アンドレアからメールが入った。セルビア人側でガイドをしてくれた女子大生だ。ボスニアでセルビア系住民として生まれ育った彼女は、内戦の激化によりボスニアを追われ、難民としてユーゴスラビアの首都ベオグラードに暮らし始めた。自分たちを追い出したイスラム教徒が住むボスニアにはもう戻れないと言う。コソボ紛争が始まった時、「私たちはこれ以上自国の土地を失うわけにはいかない」と悪名高きユーゴ連邦軍の侵攻を支持したのは印象的だった。

セルビア人はユーゴスラビア連邦の存続のために、クロアチア人と戦争し、ボスニアのイスラム教徒と戦争し、コソボのアルバニア人と戦争した。しかし、そのユーゴスラビア連邦は今年、自ら国名を変え、連邦は消滅した。あの戦争は何だったのだろか?

荒廃したコソボのその後は
今、どうなっているのか

アンドレアのメールには、引越しのこと、弟の兵役のことなどが語られていた。そしてその文の最後に、

「戦争の無いこの国はあなたにとって魅力がないかもしれないけれど、暮らしてみればそんなに悪くないわよ」

と戦争終結後、ユーゴスラビアに眼を向けない私を皮肉った一言で締めくくられていた。

今もイスラム諸国から自爆テロに関するメールが入り、香港からも新型肺炎『SARS』に関するメール、トルコからは地震に関するメールが入ってくる。相変わらず世界では様々なことが起きているようだ。しかし、私たちはテレビや新聞で取り上げられたニュースの『その後』にもっと注目すべきだろう。

災害や紛争時に蒔かれた種がどんな芽を出すかはすぐには分からない。アフガニスタン、イラク、イスラエル・パレスチナに今蒔かれているのはどんな種なのだろうか。現地取材、そしてEメールなどによって現地の声を捉え、もっともっとニュースの『その後』を知っていかねばならないと反省している昨今だ。


森口康秀(フォト&レポート/ TTLプロジェクト) 


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