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『イスラエル入国審査』 Part1
2000年、ユーゴスラビアからコソボ自治州に入ろうとしていた時のこと。ニシュという町のバスステーションで小さなカフェに入った。戦争中ということもあって、客は私以外に若い女性がたった一人。店で眼が合ったが面倒なので声は掛けなかった。その女性、なかなかの美人だったのでその時のことは覚えている。その後、ユーゴスラビア連邦からコソボ自治州に入るのは難しいと判明。近隣の町で一泊して、マケドニアという国からコソボ自治州に入ることにした。翌日、ユーゴスラビアとマケドニアの国境にさしかかった際、パスポートコントロールのためにバスから降ろされ仰天した。ニシュのカフェにいたあの美女が連邦政府の係官だったのだ。もっと驚いたのは彼女が私の泊まったホテルや乗ったバスをすべて把握していたことだ。“戦時国の外国人は見張られている“。このとき自分はスパイ映画のような世界に足を踏み入れたのだとちょっぴり怖くなった。
▼イスラエル航空搭乗拒否、イスラエルのセキュリティチェック
今回のイスラエル入国も3年前のユーゴスラビアをほうふつさせた。トルコのイスタンブールでは「危険人物でない確証がない」という理由で、エルアル・イスラエル航空に搭乗を拒否された。私としても自分が危険人物でないことを実証する方法なんて分からない。イスラエル人の空港保安員も意地悪なことだし、先を急ぐ旅でもないから、2日後にトルコ航空でイスラエルに入ることにした。
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何のことはない、トルコ航空にもイスラエル人の保安員はいたものの、ものの5分でチェックは終わり無事搭乗できた。20ドルくらいの差だったらケチらずに最初からトルコ航空にすればよかったと心底思った。2時間弱のフライトを終え、雨降りのベン・グリオン空港に到着。タラップを降りて、滑走路を走る送迎バスに乗り込もうと思ったら、空港の保安員に行く手を遮られ、雨の中取調べが始まった。機内にはイスラエル人の敵性民族、アラブ人が何人か家族連れで乗っていたが、どういう訳だか私にだけである。ひと通りのチェックを済ませてバスに乗り込むと、今度はバスを降りたところでもまた行く手を阻まれた。そこでもチェックを受けた後、その係官にパスポートコントロールへ連れて行かれた。このへんまでは普通の観光客にもよくある話なのだが、係官がコンピューターに私の名前を打ち込んだ瞬間に発生した事態は大抵の日本人は経験できないだろう。
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▼危険人物扱い
既に私に張り付いていた係官1人に加え、無線を持った女性2人男性2人の計4人がすっ飛んできた。私は5人に警戒されながら取り囲まれ、空港事務所のような場所へ連行されてしまった。何とその係官の一人は私に関するデータ書類まで持っているではないか。その場で携帯電話も取り上げられ、電源を切らされた。最近は携帯電話を爆弾の起爆装置に使用する例があるからだという。持っていた荷物とも引き離され、2m以上は近づけない。空港のX線荷物検査機で爆弾は発見できても、持ち込んだ病原菌や放射性物質などは発見できない。そんなものを空港でぶち撒かないように、“容疑者”には荷物を触らせない方針なのだという。
立ち上がること、きょろきょろ周りを見回すこと、人に話し掛けること、話し掛けられること、ポケットに手を突っ込むこと、ほとんど全ての不審とおぼしき行動が禁止された。もちろんトイレも許されない。手を頭に持っていくだけで係官は反応する。正直、この息の詰まるような時間内に何人の人間から取り調べを受けたか覚えていない。無線を持った白い制服の女性、私服の女性、また違う制服の男性、警官のような男性、私服でイヤーフォンをした男性、警官のような女性、まったくきりがない。チケットチェックから、渡航目的、期間などありきたりな質問を繰り返しされる。空港のセキュリティがどのような管轄下にあるのかは知らないが、少なくとも、空港独自のセキュリティ機関に、警察、それにアメリカで言うところのFIBのような機関も入り込んでいるようだった。
その後のボディチェックは、睾丸を握り潰されるんじゃないかというほどの執拗なものだった。ビニール手袋をした手で体のあらゆるへこみやでっぱりを全部撫で回されるのだ。この10年以上のイスラエル訪問であらゆるボディチェックを受けたが、あれほど執拗なものはさすがになかった。少し離れた大型テーブルではビニール手袋をはめた美人の女性保安員が私の下着を汚そうに摘んでいた。
(『入国審査』 Part2 へ続く)
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