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『イスラエル入国審査』 Part2
▼分解される電気製品
イスラエル・ベン・グリオン空港の荷物チェックでは持ち込んだ荷物が徹底的に調べられた。すでにこの国に入るのにさんざんX線を通されて、荷物はもう放射性物質のようになっているはずだ。にもかかわらず、コンピューターを筆頭とするほとんど全ての機械が分解された。よく元に戻せるなあと感心したくらいだ。保証書シールなんか全部はがして分解するから、もう期間保証は効かない。爆発物であると困るからだろうか、機械のON、OFFは全て持ち主の私にさせる。コンピューターの記憶装置であるHDDは引っこ抜かれて、どこかにもっていかれた。データのコピーでもとっているのだろう。トルコで買ったミネラルウォーターは口を開けて飲まされた。有害物質をペットボトルで持ち込もうとしていた場合、私はここで死ぬ。
面白いのは、私に対するセキュリティチェックが進むにつれ、イスラエル側の態度が軟化していくことだ。これは少しずつ私の容疑がはれてことを意味するのだろう。初期段階はそれこそ不審な動きをしたら射殺されかねない雰囲気で5人に見張られたが、荷物チェックの段階まで行くと、密室に閉じ込められてはいるものの、見張りは付かなくなり、トイレも許された。最終的にはお茶やコーヒーまで笑顔で勧められた。
何人もの身元チェックを受け、イスラエルにおける犯罪歴もなく、荷物に不審物も入っていない。パスポートにも問題もない。後は政治思想にどのような反イスラエル主義を持っているかのチェックだ。通常の取調べでここまで行くのは稀だ。私は2003年の1年間で3度もイスラエルを訪れているし、過去12年間を振り返れば相当の回数ここを訪れている。当局とすれば私の政治的方向性や思想も気になるところだろう。
▼国防省管轄下におかれる
私は何も説明されないまま、空港建物のかなり奥まった区画に連れて行かれた。電子ナンバーロック制御のドアを開けると、細くて窓のない廊下が長く続いており、両側に小さな部屋がたくさんあった。そのひとつの部屋に見張り役の係官と入ると、中には取り調べ役の係官がいて、「今回、あなたを取り調べる○○です。これもテロ防止のためです。どうぞご理解ください」と実に丁寧かつ友好的な挨拶をされた。非常に流暢な英語だ。蛍光灯ばかりがやけに明るく、窓のない壁には『Ministry of Defence(国防省)』と彫り込まれたパネルが掛かっている。明らかに警察や空港警備室とは違う場所である。取調官は私の正面に机を挟んで座り、同行の保安員は私の左斜め前にこちら向きで座った。私が暴れだしたりしたら、取り押さえるのに一番好都合な場所がしっかりと確保されている。
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取調官は私に関する何枚もの書類に目をやりながら、私の自宅住所、電話番号、メールアドレス、クレジットカードの番号等を記録し、パスポートにあるビザやスタンプについて、そしてイスタンブールでの搭乗拒否に関する内容説明を求められた。「ガザやウェストバンクをどう思うか?」、「入植地政策をどう思うか?」、「パレスチナ人を助けるのにどのような手段が思いつくか?」など、個人的思想に入り込んだ質問も当然された。突然ヘブライ語で質問をされることもあった。恐らく私のヘブライ語能力を試しているのだろう。ちなみに取調官は東欧、特にユーゴスラビアかブルガリアの出身の可能性が高い。ロシア系かもしれない。私のパスポートに書き込まれたキリル文字のビザをすべて判読できたのは彼だけだったからだ。
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▼真っ暗な部屋
取り調べも終わりに近づいた頃、「ちょっと待っていてください」と言って、取調官は部屋の中にあるもうひとつのドアを開けて中に入ってしまった。真っ暗で物置のような部屋だ。今にして思えばその部屋には私の様子を監視する別の係官がいたのだろう。10分ほど経ってその部屋から出てきた取調官は「協力ありがとうございました」と私に握手求めた。入国が認められたのだ。しかしあの部屋の中ではいったい何が話し合われたのだろうか。あんな真っ暗な場所で・・・。
▼見張り、尾行、盗聴・・・
その後、別室の大型テーブルにぶちまかれた荷物をパッキングしなおし、分解された電気製品の動作チェックをした。動くことはわかったが、中に何か特殊な仕掛けをされていても私には分からない。恐ろしい・・・。
最終的に空港内の警察署で入国スタンプを別紙にもらい、空港での取り調べは終わった。外に出てエルサレム行きのバス停にいる時、ボディチェックで私の睾丸を握った係官がやってきて「エルサレムに行くのか?」と尋ねられた。まだ見張られていのだ。「そうだ」と答えると携帯電話でどこかに連絡していた。バスが来てそれに乗るまでその係官と世間話をしたが、実は彼、結構いい奴だった。彼曰く「この仕事、結構給料いいんだよね。それに行き帰りは送迎バスもあるんだぜ」。
バスに乗ったら、そのバスにも別の見張りが待っていた。彼にはエルサレムまで同行され、バスの中ではコンピューター談義に花が咲いた。私が持っているNECコンピューターのpentiumMはイスラエルで開発されたもので、ここではpentiumBaniasと呼ぶと教えてくれた。こいつも好青年だった。私の知る限りその後は露骨な監視はされていない。ただ取調官にメモされた電話番号に携帯電話で電話すると、呼び出し音が二つ鳴り、ひとつは友人が応答し、もうひとつは誰かが出るが応答がない。イスラエルの盗聴技術がこれほど稚拙だとは思えないので、何か別の目的のものだと信じている。今日に至るまでそれが何だか分からない。イスラエル当局によるプライバシーの侵害や人権蹂躙的行為はムカつくが、これによって大量殺戮テロが防止できるのならば我慢もしようと思う。この国も生き残りをかけて必死で戦っているのだ。暴力も振るわれず、入国できただけでもまあ良しとしたい。
(聖都エルサレムより)
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