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* 以下は学研の『教育ジャーナル』10月号に掲載された作品(加筆、変更あり)です。

『イスラエル・パレスチナに暮らす日本人』?A

『自爆テロ少女を追う』

聖都エルサレム旧市街のダマスカス門前からパレスチナ人パスに乗り込む。ボディの塗装は所々剥げ落ち、窓ガラスも埃で曇っている。気温40度にもなろうという中、冷房も効かない。おまけに車内でタバコを吸う男までいる。すぐそこを走るイスラエル人バスは禁煙、冷房付きなだけでなく、防弾処理まで施されたバスもあるというのに・・・。

バスはキリスト生誕の地ベツレヘム行きだ。大学4年生の原田征和(23)は慣れはじめたこの埃っぽい車中で、「今回はどんな風に話を聞けばいいんだろう・・・」と思索に耽っていた。イスラエルとパレスチナが3ヶ月間の停戦合意をしたものの、以前どおりイスラエル軍の検問はある。イスラエル側からパレスチナ自治区への移動に伴う緊張にもなかなか慣れない。兵士の持つM16ライフルは本物だし、実弾もしっかり詰まっているのだから当然だろう。
 
原田はジャーナリズム専攻の学生でもなければ、『人間の盾』になろうとする平和活動家でもない。彼は多摩美術大学、映像演劇学科の学生だ。卒業制作用の映画のために単身この地にやって来た原田は、エルサレムで自爆し、2人のイスラエル人と共に自らの命も絶った18歳の少女アヤト・アルフラスを知るため、ベツレヘム近郊の町ディヘイシャに訪れている。

取材のためディヘイシャに向かう。
ここの埃っぽさにも慣れてきた

しかし取材は思うようには進まない。アラビア語もできないし、英語も得意じゃない。イスラエル・パレスチナ問題についても極めて初心者の原田がアヤトのことを知ったのは、偶然買った米ニュース誌の日本語版に『自爆テロ』特集記事が載っていたからに過ぎない。

原田はここにドキュメンタリーを撮りに来ているのではないという。この取材をベースに、フィクション(架空)の映画を制作したいと考えているのだ。一度は日本で脚本制作を始めたものの行き詰ってしまった彼はこう考えた。

「18歳で、婚約者もあり、大学でジャーナリズムを専攻しようとしていた、成績優秀な少女が何故自爆テロを選んだのかなんて、記事からだけじゃわからない」。

原田は一念発起して数ヶ月間、『中東の火薬庫』に滞在することを決意する。

「ディヘイシャにあるアヤトの家を訪ねて、下手な英語で事情を説明したら、『ウェルカム!』と彼女のお父さんが言ってくれたんです」。原田はその時の高揚した気持ちをそのままに語る。

しかし、その後は様々な壁にぶち当たる事になる。アヤトに関する話は父親であるムハマドからしか聞けないが、53歳の父親が知りうる18歳の娘像には限界があった。この家族には他にも10人の兄弟姉妹がいるのだ。母親バドラ(49)やアヤトの女友達に直接話を聞こうにもイスラムの習慣からそれは許されない。アヤトの婚約者であった男性から話を聞こうと考えているが、あの辛すぎる事件について彼がどこまで語ってくれるかは分からない。
 
この取材を通し、「アヤトを少しでも理解することができたか?」との問いに、「自分が自爆テロ犯になって自爆する寸前まで、完全には理解できないと思います」と原田は答える。彼女との『共通点』を模索することよりも、彼女との『違い』を理解するほうが重要だと考え始めているようだ。

ひとの心を推し測ることは簡単ではないと知っただけでも、原田と彼の映画にとっては大きな躍進だ。「“自分たちの価値観が世界共通じゃない”というメッセージの映画を作りたい」という映像演劇学科、4年生の原田征和は、今日もダマスカス門前からバスに乗りベツレヘムに向かう。片手にビデオカメラ、心に不安と期待を抱きながら。映画はきっと素晴らしいものになるだろう。

自爆した18歳のアヤト・アルフラスの
自宅には追悼ポスターが貼られていた


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