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* 以下は学研の『教育ジャーナル』2004年4月号に掲載された作品(加筆、変更あり)です。

『海外派兵』 ポーランド兵士とその妻は語る

コソボで着用していた国連軍
のベレーを見せるクリスチャン
「アメリカ兵って意外に体力がなくてさ、驚いたよ」とクリスチャン・ザビストブスキー(24)は思い出し笑いする。「ポーランド兵なら装備一式担いで20kmや30km、新兵でも歩く。それも山中をね」。ポーランド陸軍第18空挺突撃大隊の士官であったクリスチャンは国連軍兵士としてコソボで14ヶ月間の任務経験を持つ。「アメリカ兵はパトロールも移動もすべて車なんだ。我々は車なんか使わない」。

1999年、ユーゴスラビア連邦内のコソボ自治州で発生した民族衝突(セルビア系とアルバニア系住民)を沈静化するため、ポーランドは軍の派遣を決定した。クリスチャンたちの任務はアルバニア系住民の村に囲まれ孤立するセルビア系住民の保護だった。
派遣当初は毎日が緊張の連続だったと振り返る。コソボの山岳地帯で任務遂行中のこと。セルビア人の
羊飼いがポーランド軍部隊の駐屯する小学校に飛び込んできた。「アルバニア人が何十人も武装してこっち
に来るぞ!」。現場はここから10分もない距離だ。こちらの総勢はたったの12名。特殊戦闘訓練を受けた
兵士は4人しかいない。残りは基本訓練を終えたばかりの新兵や衛生兵だ。部下に命令し、土嚢の後ろに
隠れて応戦体制を整えたが、「死者、けが人を一人も出さず、彼らを追い返すことは不可能だと思った」とク
リスチャンはいう。国連兵とはいえ、セルビア系住民を守るポーランド軍はアルバニア系住民に敵視されて
いるからだ。

約10分後、アルバニア人の攻撃が開始された。乾いた銃声が
森の中に響く。深い森と岩に阻まれてあちらの姿は全く見えない
ので応戦のしようもない。
羊飼いによるとアルバニア系住民はロシア製の携帯型ロケットも
携えていたという。「ここは小学校だ。もしそんなものを撃ち込まれ
たらひとたまりもない」。
建物に当たる銃弾が20代前半のポーランド人兵士たちを一層
不安にした。
しかし突如状況は一変する。ポーランド軍から連絡を受けたアメ
リカ軍の攻撃用ヘリコプターAH−64、通称“アパッチ” が山間
を抜けて低空飛行で現れたのだ。
30ミリ機関砲、ロケット砲や対戦車ミサイルを装備したこの“アパッ
チ”を前にしては、さすがの武装ゲリラも舌を巻いて退散するしかな
かったようだ。

任務終了時に授与された勲章
形勢は完全逆転。クリスチャンはその瞬間を“アンフォーゲタブル(忘れられない)”な瞬間と表現する。
コソボ駐屯14ヶ月間に垣間見たものは辛くて厳しいものが多い。それでもクリスチャンは断言する。
「国際貢献のための派兵は絶対に必要だ。戦場には兵士にしか出来ない仕事が沢山ある」。
クリスチャンの妻、カーシャ(23)も毅然と言う。「ポーランドのように国際社会での地位が低い国は
海外派兵みたいな仕事で自分たちの
自分たちの地位を築いていくしかないの」。


愛妻カーシャと共に。
彼女は今妊娠中だ


2003年11月、イラクにおける初のポーランド兵戦死者が出た。イラク
残存勢力の攻撃は米英軍にだけでなく、その支援国兵士、国連事
務所、大使館にまで及ぶ。現在、クリスチャン・ザビストブスキーはポー
ランド軍を除隊し、国内の警備会社に勤務している。除隊理由は意
外にも妻のカーシャに懇願されたからだという。2004年からは警察の
対テロ特殊部隊に入隊する予定だ。 

「あのままだったら、このひとイラクに行っていたと思うの。国際貢献、
海外派兵は重要だし、支持もするけど――」、カーシャはちょっと照れ
臭そうにクリスチャンの手を握った。「彼に死なれちゃ困るのよね」。

ポーランドは今でもアフガニスタン、イラクへの積極的海外派兵を
行なっている。日本国内では疑問視されている自衛隊派遣だが、派
遣するのであれば立派に国際貢献して欲しい。でも隊員たちには“
彼に死なれちゃ困る”と考える家族がいることも忘れないでおくべき
だろう。



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