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『イスラエルの正義、パレスチナの悲劇』 2003年 1月19日 エルサレム 最近、街中やバス停など行く先々でやけにイスラエル兵に止められ、職務質問及びパスポートの提示を求められます。少し前までは、一瞥して「外国人か...」と無視される存在だったのですが、どうもこのところはそうはいかなくなってきました。 イスラエル国内、特にイスラエル人(ユダヤ人)とパレスチナ人(イスラム教徒、キリスト教徒)の間に独特な緊張が存在する聖地エルサレムには、青色の制服を着た一般の警察官の他に、『ミシュマル・グヴォル』と呼ばれるオリーブ色の軍服を着た警察隊がいます。英語では『ボーダーポリス』と呼ばれる彼らは、一見したところイスラエル正規兵と変わりがありません。全員がマシンガンで武装しており、背中には黒い警棒の突き出た小型のリュックサックを背負っています。このリュックサックに付いている『POLICE』という英語のステッカーと緑色のベレー帽で彼らが『ボーダーポリス』あることを見分けることができます。ここには18歳で徴兵されたイスラエルの若者たちが配属されていて、正規警察官のサポート的役割を果たしているようです。 意外かも知れませんが、イスラエルの正規兵は逮捕権を持っていません。イスラエルや外国籍の平和活動家なんかが戦車の前に座り込んで『人間の盾』となって軍事行動を阻止したりする場合、この『ボーダーポリス』が出動します。我々、報道関係者も軍の封鎖地域や衝突地域で“度を越した”取材、撮影をすると『おい、警察呼ぶぞ!』なんて脅されます。最初の頃は「なんで兵士自身で我々を拘束しないんだろう」と不思議に思いましたが、曲りなりにとも“民主主義”を標榜するこの国では、一般市民の逮捕に軍隊は使わないようです。 私の見たところ、職務上、彼ら『ボーダーポリス』が一番パレスチナ人との接点が多く、その分大小様々な衝突を生み出しているように見えます。無許可の露天商を取り締まったり、街を歩くパレスチナ人の身分証明書確認、ボディーチェックなどをしているのをよく見掛けます。パレスチナ人も自分の家に帰るのに毎日こんなことがあるんじゃ喧嘩の一つもしたくなる気持ちは十分理解できます。ただ、イスラエル国内ではパレスチナ人によるテロが頻発しているのですから、イスラエル側の対応も理解はできます。 数週間ほど前、ちょうどテルアビブでの二重自爆テロのあった翌日、この近辺では一番爆破テロの多いヤッフォ(ジャッファ)通りのバス停を昼頃通り掛ると、一見大学生らしきパレスチナ人青年が警官によって職務質問されているのを見掛けました。 この地区ではアラブ(パレスチナ)人バスとユダヤ人バスの区分があり、ユダヤ人は“リンチされて殺される”と信じているので、平和活動家や人権活動家でない限りアラブ人バスに乗ることはありません。逆にユダヤ人バスにパレスチナ人が乗ることは多々あります。というのも『エゲッドバス』と呼ばれる民営のユダヤ人バスでなければ殆どの町に行く事ができないからです。ここに自爆テロの恐怖が入り込む隙間があります。 ヤッフォ通りのほぼ全てのバス停には警官や警備員がテロ防止のための見回りをしていて、時にはバスの中まで乗り込んで来て不審者や爆発物チェックをします。一日に何百、あるいは何千あるか分からないほどの路線バスを全てこういった形でチェックしているのですから、全く気の遠くなる話です。 恐らくこの日もその警らの一環としてそのパレスチナ青年を取り調べていたのでしょう。基本的にユダヤ人バスに乗り込もうとする全てのパレスチナ人は自爆テロの容疑者的な扱いを受け、身分証明書の提示、荷物のチェック、目的地の確認などが厳しく行なわれます。 当初、いつものような取調べをしていた40代くらいの警察官が、いきなりパレスチナ人青年の襟首を掴むと彼を振り回し始め、二人ともえらい勢いで歩道から車道に倒れ込みました。二人の力は互角の様でしたが、警官にたて突いた態度によっぽど頭に来たのでしょう。その警官がパレスチナ人青年を押さえ込むと彼の顔面を踏みにじり始めました。周りにいたユダヤ人がその警官を止めるくらいですから、どれくらい壮絶なものだったかは想像が付くと思います。完全に体勢を完全に立て直した警官がその後もひたすら青年に殴る蹴るの暴行を加えますが、青年も抵抗の手を緩めません。 私もすぐに反応してバッグからカメラを出そうとしましたが、見物人の中にいた私服警官が私の前に立ちはだかり、バッグの中に入れた私の手を押さえて一言「ノー・フォト」。しっかり見張られていたんですね。 乱闘中の警官に4人の警官が加勢され、3人で青年を押さえ、2人で腹部を殴るというチームプレーに移りました。すると彼は苦しそうな悲鳴を上げて倒れ込み、羽交い絞めにされて道路の向こう側にある警察署に引きずられて行きました。それでも彼は必死で抵抗しながら外国人である私向かって何かを叫びましたが、アラビア語だったので意味は不明です。ただ彼の必死に何かを訴えようとするあの眼は忘れることができません。 石造りの警察署正面には家庭用サイズの金属製ドアがたった一つあるだけで、あとはインターホンのみ。引きずられて行った青年がそこに押し込まれ、ドアがバタンッと閉まったら、今までの騒動は存在しなかったかのように普段のヤッフォ通りに戻りました。門番をしている警官がポケットに手を突っ込んでタバコをふかしていたのを覚えています。 この一連の行為を目の当たりにした時には、言いようもない憤りを感じ、正直、「あそこまでやる必要があるのか?」と強い疑念を抱きました。しかし、よく考えてみればあのパレスチナ青年があれだけ警官に対しの抵抗をしたにもかかわらず、警官たちは一人として銃を抜いていません。イスラエルの警官は日本の警官と違って拳銃だけじゃなく、マシンガンやアサルトライフルなどに弾倉を二つ、輪ゴムで巻きつけて武装しています。 「アメリカでは警官に抵抗すれば射殺されても文句は言えない」と聞きますが、ここは紛争地ですからそれ以上のはずです。しかし彼は射殺されなかった。イスラエルの場合、逮捕されてから拘留中に秘密裏に殺されるなんて事は考えられません。ソ連時代のKGBじゃありませんからね。私はその後両手を拘束されてパトカーに乗せられる青年を確認しています。 バスだろうが、カフェだろうがイスラエル国内ではパレスチナ人っぽい風体をしていれば大抵入念な取調べを受けることになります。「同じ場所にいてもユダヤ人はチェックしないでパレスチナ人ばかりチェックするのは人種差別だ!」という人もいますが、イスラエル・パレスチナ紛争において、ユダヤ人がユダヤ人のビルやバスを爆破することは殆ど考えられないわけですから、これは仕方ないのかもしれません。 後ほど、現場に立ち会った『ボーダーポリス』に詳細を尋ねたところ、「ユダヤ人バスに乗り込もうとしていたパレスチナ人を、例の警官が引き止め、バックパックの中身を確認しようとしたところ、それを拒否したので『自爆テロ犯』の容疑者として拘束した。その際、抵抗したためあのような事態となった」とのことでした。この証言は大体私の見た出来事と一致します。 ユダヤ人バスのバス停でパレスチナ人が荷物の中身確認を拒否すれば、確かに『自爆テロ犯』と疑われてもこれまた仕方ないことなのかもしれません。 私はイスラエル軍や警察がパレスチナ人に対して取っている行為を一概に非難するつもりはありません。イスラエルにもこの地における生存権があり、自衛権もあります。もし今イスラエルが取り締まりの手を緩めれば、間違いなくパレスチナ人のテロや襲撃で多くのイスラエル国民の命が奪われるでしょう。「自国民の生命なんてどうでもいい」なんていう政府はクズ政府です。イスラエルは決してそのようなクズ国家ではありません。私個人的にも、パレスチナ人をチェックしないユダヤ人バスへの乗車は正直躊躇します。皮肉なのはイスラエルがこういった国防に力を入れれば入れるほど、パレスチナ人たちの怒りを蓄積させ自爆テロを誘発する結果をもたらしていることです。 この地のおけるパレスチナ人の生活は怒りと憤りに満ちています。パレスチナ人であるというだけで犯罪者扱いされ、ユダヤ人バスに乗る度に荷物をひっくり返される。アラブ人バスに乗ってもイスラエル軍の検問で何回も止められ、結局は荷物をひっくり返される。時には通過も許可されない。多感な年頃の若者が日々“生まれながらの犯罪者”と扱われ、本来模範的将来像のとなるはずの大人たちが、若いイスラエル兵に媚びたり、ひれ伏したり、なだめすかしたりする姿を目の当たりにすれば、自分の将来がどうなるか見えちゃうんですね。絶対的なイスラエルという国家と軍隊の存在に無力感が募るのは当たり前です。 こういう状態の中で無気力に任せて酒やセックス、ドラッグに溺れる事もイスラム教での彼らには殆ど不可能ですから、彼らは自分たちの信仰に結びつけて『ジハード』(聖戦)で『シャヒード』(殉教者)になり『永遠の安寧』を手に入れる行為に及びます。まさにこれが『自爆テロ』カラクリなんじゃないでしょうか。 しかし、これは誰の責任なのでしょうか?爆弾を持っているかもしれないパレスチナ人を大目に見て、セキュリティチェックのレベルを下げないイスラエルの責任でしょうか?あるいは自分の町がイスラエル軍に封鎖され、食べ物もろくに得られなくなった状況をじっと我慢しないパレスチナ人の責任なのでしょうか? パレスチナ人たちの悲劇に関して国際社会は往々にしてイスラエルを非難しますが、世界各国からパレスチナ自治政府に送られた巨額な経済援助が、近隣のイスラム諸国からの武器密輸に遣われていることには異論はないのでしょうか。政府の役人やその家族が最高級のメルセデスベンツに乗って、最高の家に住み、ヨーロッパに別荘まで持っていて、ガザの子供はまともな靴も無いような状態であるにもかかわらず、これを単にイスラエルの責任に置き換えようとします。自治政府の腐敗を追及しようとするパレスチナ人が自らの政府によって拷問され、時には殺されるという事実があるのに、パレスチナの悲劇はいつもイスラエルの責任にされています。イスラエルで政府や政党の批判を公衆の面前でしても殺されることはありませんが、パレスチナでそれをしたらどうなるか想像してみてください。 パレスチナ人に起きていることは紛れも無い悲劇です。ただこの悲劇が本当にイスラエルのみによってもたらされているのかを我々国際社会は考えなければならないと思います。『本当の敵』は誰なのか、何なのかを...。 この国における紛争の悪循環を考えると暗澹たる気持ちになりますが、紛争の中でも強く、優しく生きる人々を見ると救われることもあります。 「今日はイスラエル人がうちのお菓子をいっぱい買っていったなあ。インティファーダ(反イスラエル民衆蜂起)なんかなきゃもっとイスラエル人が買い物に来るのに。商売に宗教は関係ないからね」というパレスチナ人店主の笑顔。 外出禁止令下のヘブロンをパトロールする厳ついイスラエル兵が、知的障害を持つパレスチナ人の子供の頭を撫ぜながら、道端で挨拶を交わす時の笑顔。 そんな彼らの笑顔を見ると「小さいながらここにもまだ希望があるな」なんて思ったりします。 ここ6週間のイスラエル取材で撮った写真を『フォトメッセージ』してみなさんにお送りいたします。 聖地エルサレム |
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