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『アパッチ攻撃ヘリの脅威―シュジャイヤの戦闘にて―』


2002年 1月27日 ガザ地区

『シュジャイヤの戦闘より』 音声が再生されます 音1

ガザに来て一週間。ガザでは海沿いのアパートを3人で短期間借りています。近隣住人も殆どが外国人で、国連(UN)、ヨーロッパ連合(EU)、国境無き医師団などのスタッフのようです。なかなか立地条件もいい所なのですが、今回の取材は余程ついていないのか、またもや風呂のお湯が出ないため、ヤカンでお湯を沸かし、コーヒーカップで行水するといった生活を余儀なくされています。当然水道の水も飲めませんから水屋さんから何日かおきに購入します。辛いのは、イスラム原理主義武装組織『ハマス』がここで多数支持を得て以来、映画館が閉鎖されたり、お酒の販売が禁止されてしまったことです。仕事から解放されて「ビールを一杯!」といけないのが更に日常生活を辛くします。

ガザは1994年までイスラエル占領地区、今はパレスチナ自治区ですから、テルアビブやエルサレムのような大都市と比べると物価も安いし、一般的な意味での治安もよくて、初めて来た人は「日本の新聞やTVニュースで報道されるような場所がどこにあるんだろう?」と思うかもしれません。

地中海沿いには綺麗なリゾートホテルが立ち並び、商店街などもなかなか立派で、他のアラブ諸国のものとさして変わりません。『難民キャンプ』に入ったところで、これといった危険も無く、差し迫って命に関わる貧困があるようにも見えません。テントを張って、地べたに寝ていたのは数十年前の話で、今はでは多くがコンクリート家屋で、衛星アンテナらしきものまで付いている家庭があります。勿論、壊れそうな、というより壊れている建物に住んでいるパレスチナ難民もまだたくさんいますが、恐らく第三世界の多くの“難民でない”人たちよりも彼らの生活レベルは上をいっているんではないかと思います。大体今ではどこからが難民キャンプでどこまでが一般住宅地なのかの境もはっきり分からないくらいです。とはいえガザは内戦下のある訳ですから、失業率は高くガザの人々の暮らしは難民、そうでない人を問わず経済的にはかなり困窮しているのも事実です。

ガザで目に付くのは、子供がやたらに多いことと、スプレーペイントされた壁の落書きです。その落書きがなかなかカラフルで、私には『戦争アート』と呼べるくらいのレベルに見えます。その殆ど全てがイスラエル軍への憎しみが描かれていて、政治的メッセージ性が強く、イスラエル軍との戦闘で死んだ『シャヒード(殉教者)』の肖像画やイスラエル軍の戦車『メルカバ』を爆破して、兵士ごと木っ端微塵にしている落書きが目立ちます。

ガザにしてもウェストバンク(ヨルダン川西岸地区)にしても、戦闘の先陣を切ってやって来るのが、大抵イスラエル軍の大型戦車『メルカバ』や『APC』と呼ばれる装甲兵員輸送車なので、武装が貧弱でゲリラ戦しかできないパレスチナ戦闘員、そして戦車に投石をするパレスチナ少年たちにとってあの『怪物』はまさに脅威で、「いつかぶっ壊してやる」という切なる願いがあの落書きには込められているのです。私たちも最近はよくこの『メルカバ』を制圧地域で見かけますが、あの重厚かつ頑強な外面を目の当たりにし、機関銃や戦車砲の音を聞くと、生身の人間ではどうやっても太刀打ち出来ない無力感のようなものすら感じます。

稀にパレスチナ戦闘員がイスラエル軍の『メルカバ』をブービートラップ(仕掛け爆弾)や地雷などで乗員ごと吹っ飛ばしたりすることがありますが、その時は鬼の首を取ったかのような大騒ぎになり、その後『伝説』としてパレスチナ自治区で語り継がれていきます。「この前なんかロケット不発弾を改造した爆弾で『メルカバ』をやっつっけたんだよ」と難民キャンプの子供が自慢気にその『伝説』を語ってくれたのが印象的でした。不思議なことにもう一つの空からの恐怖、アパッチ攻撃ヘリやF15、F16戦闘(爆撃)機をやっつける落書きは見かけたことがありません。身近な標的として考えるには少し難しすぎるのでしょうか。

「TTL Journal part7」でもレポートしましたが、ここ数日ガザに対するイスラエル軍の攻撃が激化しています。そこでも当然あの『メルカバ』は登場しています。イスラエル当局筋は侵攻の理由として、ヨルダン川西岸の町ヘブロンでパレスチナ人戦闘員の待ち伏せ攻撃に遭いイスラエル兵3人が殺害されたこと。ガザから近隣のイスラエルの町にロケット弾が3発撃ち込まれたことなどを挙げています。

ベイトハヌンの取材撮影を行なった翌日(1月25日)、同居しているアメリカ人ジャーナリストのケンとイギリス人カメラマンのサニーと共に食事をしていると、ガザで英語教師をしているアメリカ人のデビッドから電話がありました。夜の11時過ぎです。

「イスラエル軍がシュジャイヤに侵攻中。アパッチヘリも周辺を低空で飛び周っている」という情報でした。ケンの語り振りから今すぐに現地に赴きたいというのが伝わってきます。サニーも同様。シュジャイヤといえばここから大した距離ありません。多分4キロ弱ですから無理すれば歩けない距離ではありません。

「夜の戦闘は写真が撮れない上、イスラエル軍もパレスチナ戦闘員も我々が外国プレスかどうかなんて暗くて判断がつかないから凄く危ないよ。だから行かない」と渋る私に、「戦闘地域には行かないよ。(英語教師の)デビッドのアパートまでしか。すぐそばだから大丈夫だ」と言って参加を促します。サニーも行く気満々です。この二人ともイスラエルで取材活動をしている割に戦闘取材経験が少なく、こういったチャンスをずっと待っていたような節があります。

そんな理由もあってか、特にケンは戦闘を全く恐れておらず、先日のベイトハヌンで銃撃に遭った時も、地べたを這いながらへらへら笑っていました。「これは『勇気』といった類のものではなく『無知』『不感症』じゃないか?」と甚だ疑問にはなりますが、もとより戦場ジャーナリストやカメラマンなんていうのは、普通の生活を送っている人と比べれば少々感覚のズレはあるはずですから、一般的常識を持ち過ぎていると商売にならないんですね、多分。

ということで、我々三人は途中、現地ガイドの大学生マフムードをも誘い、戦闘の行なわれているシュジャイヤの方向へ歩き始めます。「写真が撮れなきゃ、録音でもするか」とボイスレコーダーを持って。このサンヨーの小型ステレオ・デジタル・ボイスレコーダーとパイオニアの小型ステレオマイクが実に高性能で、想像以上に戦場の“いい音”を拾ってくれると仲間内では評判になっています。

私のWeb サイトの『サウンドメッセージ』全てこのボイスレコーダーで録っています。ステレオで録音できるボイスレコーダーは購入時、世界でこの機種のみとのことで、こんなところでもサンヨーのファンを増やしています。この商品の難をあえて言えば、ボイスレコーダーのダイヤル型ON-OFFスイッチが再生、早送り、巻き戻しも兼ねていて、タッチが微妙で誤作動が多すぎることですね。まあ当然、戦闘音を録るなどという想定ではデザインされていないでしょうから仕方ないのかもしれません。

パイオニアの小型ステレオマイクはジャック接続部が角度をつけて曲げられる様になっているのですが、そこに少しぐらつきがあって、それが録音時にノイズとして入ってしまう欠点がありますね。ちょっとマニアックな解説ですが、とりあえずご参考までに。

さて、イスラエル軍侵攻時のガザの様子は今回も『サウンドメッセージ』でお伝えいたします。そこに収め切れなかった事実をここに文章としてお伝えいたしましょう。

ガザのメインストリート 『オマール・アル・ムクタール』通りに出てみると武装したパレスチナ人が目立ち始めます。『イスラム聖戦』、『アル・アクサ殉教者旅団』、『パレスチナ解放民主戦線(DFLP)』、イスラム原理主義武装組織『ハマス』、それにパレスチナ自治警察まで加り、そこはまさに各パレスチナ武装組織のオンパレードの様相を呈しています。いったい彼らはどのように各派の連携調整をしているのでしょうか?そんなもの果たして存在するのかすら疑問です。

彼らパレスチナ戦闘員の身なりは様々でパレスチナ自治警察はオリーブグリーンの制服が正規の警察官、青が特殊警察。『ハマス』の場合は多くがグリーン基調の迷彩服に袋型のマスクで顔を隠しています。「アル・アクサ殉教者旅団」は黄色の鉢巻をしている戦闘員が多く、『パレスチナ解放民主戦線』は赤の鉢巻だったと思います。彼らは一様にAK47カラシニコフ(AK74カラシニコフの可能性もあり)で武装しており、94年の和平条約締結後イスラエル軍から供与されたアメリカ製のM16アサルトライフルは見かけりことはありませんでした。

この通りにうじゃうじゃ出てきたパレスチナ戦闘員は、近隣の軍事基地から戦闘のためにやって来た正規兵ではありません。普段はタクシーの運転手だったり、配管工であったりする民間人です。武装こそしていますが、雰囲気は日本で夏祭りに駆り出される町内会のおっさんたちに似ています。実際、ケンが見かけたある『イスラム聖戦』戦闘員は、行き付けのカバブ(羊肉の串焼き)屋のおやじだったそうです。

今回イスラエル軍は戦車40両以上を連ね、アパッチヘリの支援を受け三方向からガザに侵入したと伝えられています。パレスチナ側はこの戦闘で12人(現在は13人)の死者を出したにもかかわらず、イスラエル軍側は一人の怪我人も出していません。イスラエル軍にとってこの作戦は相当に周到なものだったと考えられます。

この戦闘を見て驚いたのは、絶対的な強さを誇るイスラエル軍に立ち向かっていくパレスチナ人戦闘員の意気込みです。ご存知のように自治区しか持たないパレスチナ人には正規の軍隊と言うものが存在しません。ですから、武器・弾薬類、訓練レベルにおいてもアメリカの絶大なるバックアップを受けるイスラエルの足元にも及ばないのです。

「絶対に勝てない...」。彼らパレスチナ人は口にはしないものの分かっているはずです。しかし彼らは殆ど効果の無いマシンガン掃射を戦車やアパッチ攻撃ヘリコプターする。防弾ベストやヘルメットを被っているパレスチナ人戦闘員が一人もいないんです。彼らの戦い振りを見ていると、「生きたい」とか、「助かりたい」といった人間の基本的欲求を乗り越えているように見えます。

アパッチ攻撃ヘリのロケットや戦車の砲撃の中、装甲車両のバックアップも無く、カラシニコフ・ライフル一丁で激戦地に乗り込んでいくなんて、いくら「国のため」とか「神のため」とか講釈たれても、怖くて出来るもんじゃありません。それは現地にいればよーくわかります。今回のサウンドメッセージでも、近くで爆発(ロケットなのか戦車砲なのかは不明)が起きた時なんかは、情けなくも私なんか状況説明もせずにただその場から逃げ去っているんですから。

勿論、パレスチナ人だって怖くないといったら嘘でしょう。今回の戦闘中も近隣のモスク(イスラム寺院)のスピーカーをフルボリュームにして「アッラーアクバル!(神は偉大なり!)」と戦闘員に檄を飛ばしています。自分を奮い立たすために多くの戦闘員が「アッラーアクバル」と唱えたり叫んだりしているのも聞きました。

普段町で挨拶を交わす気のいいパレスチナの若者やおっさんたちの何人かが、この夜戦闘員にかわり、カラシニコフを携え、地雷を手提げ袋に入れて大事に抱えながら走り回っていた。自爆ベストを着た戦闘員もいたとのことです。

この戦闘で13人のパレスチナ人が死亡し、60人以上が負傷をしています。少なくとも13の“爆弾製造の疑いのある”工場が破壊されました。

翌日にはいつものようにガザをあげての葬儀が行なわれました。街宣車が反イスラエルのアジテーションを流し、通りはシャヒード(殉教者)を悼むパレスチナ人でごったがえします。こうしてイスラエルへの憎しみは日々増して行きます。

一方、イスラエル国内では、シャロン率いるリクード党が選挙で圧勝し、「パレスチナとの不安定な和平交渉より、安定的な対立」を求めるイスラエル国民の意思が明らかになりました。先日へブロンで戦死した3人の兵士の一人は、軍務に赴く数日前に2人の姉妹に自分の葬儀のスタイルを言い残していたそうです。

「自分の葬儀にはみんな白い風船を持っておしゃれな格好で来て欲しい。式の最後にはフランク・シナトラの『マイウェイ』を流して...」。まだ20歳です。

言い古された言葉ですが、ここでは自分の生活や家族を守るために、パレスチナ人、イスラエル人問わず多くの人々が傷ついています。

そして、それをネタに仕事をしている人間も少なからずいるのです。私のように...

複雑ですね。この世の中は。

ガザ地区

音2  『葬儀パレード』 音声が再生されます






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